アクロポリスとディオニソス劇場

アクロポリスから見下ろすアテネの町並み

「ディオニソス劇場」はギリシャで最も古い劇場で、紀元前6世紀に建設されたものです。

ディオニソス劇場

この劇場はアクロポリスの南斜面にあり、ここはディオニソスの神域にも近く、劇場の観客席を建てるのに理想的な場所でした。
そのオーケストラ・ボックスは現在のものよりずっと大きく、座席は木で作られ、舞台も木で作られていた為、移動可能でした。
紀元前5世紀に三大悲劇詩人として知られているアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス、喜劇作家、風刺作家として知られているアリストファネスらの傑作が上演されています。

ディオニソス劇場の復元想像図

紀元前4世紀、リクルゴス執政官の時代に、観客席は石で再建され、現在にも残る形態となりましたが、舞台はその後も何度も改築されています。観客席の最長部は100m、奥行きは90m、席は3つのゾーンに分れ78列ありました。

ローマ時代の1世紀、ネロの時、次いで3世紀、フェトロス執政官の時に劇場は大改築が行われ、舞台の前部はオーケストラ・ボックスの方へ拡げられ、舞台は2階建ての壮大な建物となり、大理石板がオーケストラ・ボックスに敷かれ、観客を競技や動物から守る為、その周りに張り出し席が設けられました。

現在は大部分が破壊されていますが、観客約1万7千人を収容したものと考えられています。

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アクロポリスとエレクティオン神殿

アクロポリスからの眺望 (画面右側にはアテネで一番高い「リカビトスの丘」が観えます)


「エレクティオン神殿」はパルテノン神殿の北側に建つイオニア式神殿です。

エレクティオン神殿
エレクティオン神殿(復元想像図)

この場所は女神アテナと海神ポセイドンがアテネの支配権を巡って争った聖域であり、また多くの神々の家であり、アテネ先史時代の伝説的な王たちの墓でもありました。

かつてエレクティオン内にはオリーブの木で作られたアテナの聖像が保管されていて、その横にはキュクロプス(ギリシア神話に登場する卓越した鍛冶技術を持つ単眼の巨人)の墓とその娘でエレクテウスの乳母だったパンドローソに捧げられた礼拝堂があったといわれています。

この建物の建築は紀元前421年のニケアの和平の後に始まり、シチリア遠征の間中断され、紀元前406年の建築家フィロクリスにより完成されました。
しかし、17世紀に完全に破壊され、19世紀になってから復元がはじまりました。

建築創造の中で最も特徴があり優美なのが「乙女の露台」で、この建物の南側、パルテノン神殿側に面しています。

6人の乙女「カルアティディス」

6人の乙女は「カルアティディス」と呼ばれ、古代ローマ時代に名づけられました。

「カルアティディス」は頭にイオニア式の伝統的なキーマの装飾で飾られた籠を載せ、その上に正面の屋根が乗っています。
すべての乙女の彫刻は同じようにみえますがそれぞれが個性を持っており、耳朶に穴が空いていてたり、髪型が異なっていたりしていますが、いずれにしろすべてが肩まで髪を下ろし彫刻の首の弱い部分を補強しています。

「アクロポリス博物館」内に保管されている「カルアティディス」

「カルアティディス」6体はすべてコピーで、オリジナルの内1体はエルギン卿によって持ち去られ「大英博物館」にあり、残りの5体は環境汚染などから守るため「アクロポリス博物館」内に保管されています。

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アクロポリスとパルテノン神殿

「アクロポリス」とはギリシャ語で「小高い丘にある都市」を意味し、当初は軍事上の拠点でしたが、やがてはアテネ市民の信仰の中心となりました。
その丘には市の守護神アテナを祭る「パルテノン神殿」など、多くの神殿が建てられました。

アクロポリス
アクロポリス(想像図)
アクロポリス復元想像図

現在の「パルテノン神殿」は当初建てられたものではなく、紀元前480年にまだ完成しないうちに破壊された古代神殿の遺構の上に新たに建設されたものです。
紀元前447年にその時の大政治家ペリクレスがイクティノスに建築を委託し工事がはじめられ、アテネ近郊のペンテリコ山より切り出された純白の大理石が使われました。

「パルテノン神殿」はドーリア式、両翼前柱廊式神殿で、長さ69.9メートル、幅30.9メートルで、前後正面には8本、長側面は17本の柱を持ち、高さは10.5メートルです。

パルテノン神殿

神殿のメトーブ(屋根や破風と柱の間の壁面)や破風には彫刻、フリーズ(装飾壁)にはレリーフがフィディアスにより施され、室内には金と象牙などで作られた「アテナ女神像」が置かれていました。

神殿内とアテナ女神像の想像図

「パルテノン神殿」はその後、中世にはキリスト教会、トルコ支配時代にはモスクに改造されて使われていました。

その後、1687年、トルコ軍の弾薬庫として使われていた「パルテノン神殿」にヴェネチア軍の砲弾が命中、原型を留めぬまでに破壊されました。

19世紀に入ってからようやく修復が始まりましたが、現在もまだ修復は続いています。

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四川大地震に思うこと

私は去年、8月に四川省8日間の旅をしてきました。
「九寨溝・黄龍・成都・上海8日間」の旅

その際、世界遺産である秦の始皇帝が建設を命じた「都江堰」(今回の地震でダムに亀裂が入ったと報道されています。)の観光をし、「綿陽」のホテルでも1泊、現地の人とも触れ合いをしたことから人ごととはとても思えず、深く心を痛めています。

世界遺産「都江堰」

「都江堰」の街の建物は古いものが多く、今回の様な大地震が発生すれば、その様な建物は一溜りもなく倒壊してしまったのだと思います。
「綿陽」の街は道路が広くゆったりとした近代的な街で、中国の大手家電メーカーの工場などが立ち並んだ工業都市で、新しい建物も多く、ビルも近年、建設されたものがほとんどだったので、この様に多数の死者が出たのは不思議な気がしました。それだけ大変大きな地震だったのでしょう ・・

この地震により去年、中国で大人気だった「九寨溝・黄龍」の観光が外国人を含め、当分のあいだ難しくなったことは間違いありません。
中国人の国慶節の国内旅行先で「九寨溝」が1番人気

これから「九寨溝・黄龍」へ行こうと思ってみえた方々は当惑されていることでしょう。(空路でなら可能だと思いますが、道路が寸断されているため、陸路では当面行けそうな状況ではありません。)

肉親を失われた方の悲しみは深く、怪我をされた方、家を失った方々の心情は察するにあまりあります。
現地で救出活動や治療にあたっている方々は必死に対応していることでしょうが、とにかく人命が第一ですから一刻もはやく救出、治療し、できるだけ早い復興を願っています。

アテネ競技場(オリンピック・スタジアム )

アテネ競技場(オリンピック・スタジアム)

1896年の第1回、近代オリンピックの会場となった7万人収容でき、観客席が大理石で作られた競技場です。

その歴史は古く、元々は紀元前331年に2つの丘の間に作られ、パンアテナイア大祭の競技が行われていましたが、132年からはハドリアヌス帝が催したアドリア・オリンピア祭の会場となりました。

現在の競技場はローマ時代の144年にその時の富豪、ヘロデス・アティコスが大理石の競技場として新たに建設。 その後は長い間遺跡として放置されていましたが、1869年から79年にかけて発掘がなされ、オリンピックのために古代の競技場に近い形に復元されたものです。

大理石の名盤

大理石の名盤には第1回近代オリンピックであるアテネから現在までのオリンピックの歴史が刻まれています。

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